郊外鉄道の果て

 よお。今日俺は夢のなかで、とてつもない風景を見た。お前に話したい。聞いてくれ。

 俺は、一人の悪友と、長い年月をかけて鉄道で旅を続けている。銀河鉄道のようなスケールのはずなんだが、内装や雰囲気はただの郊外列車にしか見えなかった。そして窓の向こうでは、厭になるほど白昼の社会が続いていた。友人には食らったチョコレートビスケットの残りかすを車内に吹き散らす癖があり、俺たちは他の乗客たちから白い眼で視られていた。今思うとそれは、周りの社会人にたいする奴なりの威嚇だったのだろう。俺もそんな奴を大目に見ていた。俺たちはマナーが悪かった。
 と、いうことは、確かにどうでもよかったな。

 長い沈黙の後、乗客は自分たちだけになっていた。車窓からはいつの間にやら街が消え、今では数千キロ先まで見渡せるような、荒涼とした風景に変わっていた。
 目指していた場所に差しかかっている。そう気づいた。
「おい! 見ろ! 富士山見えてるぞ!」
 そう叫んで指さした窓の遥か先に、たしかに山が見えていたが、それは富士山ではなかった。もっと、圧倒的にでかい山で、青い色をしていた。
 俺たちは窓に口吻ける勢いで顔を近づけ、過ぎ去った方を眺めやると、さらに途方もなく大きな山が見えた。俺はまったく、呼吸が止まるかと思った。形も、山というよりは、むしろクレーターに似ている。巨大な隕石が衝突した直後、時間が静止したかのようだ。あるいは、沙漠に巻き上がった砂嵐のような。垂直に高まった波紋の縁が、1万5000メートルにも達している。火星にあるオリュンポス山も、目視すればこんな具合だろうかとも思った。

 山は、際限なく見つけられるようだった。
 あの"富士山"の麓にも、クレーター型の低い山が在り、高さは8000メートルほどだが、宇宙から見た地球と同じ色彩をしていて不思議だ。

 俺たちの列車は空を飛んでいるのか、その山を見下ろすように走っている。
 すぐにでも列車を降り、あれらの山々へと入ってゆきたかった。それも、運転士が車両の置き場所を見つけるまでの辛抱だ。
 僕たちはまったく浄化されるような想いだった。見よ彼の、邪気の無い横顔。

 列車が旋回し、そしてあの風景があらわれた。細長く伸びた粘菌のような高い山、胞子を冠ったキノコ傘のような山…そうした無数の巨大で異色な山々が、ある唯一の、果てしなく言語を絶する山から生えているのだ。それはまるで大地全体が天へと隆起したかのようで、裾野を越えた辺りから、その表層に群生した山々によって山容が覆われ、いったいどこまで大きいのか見当をつける気さえ起こらない。仏教でいう須弥山とは、これではないかと思った。

 その風景は僕の殻を打ち砕き、わたしを一粒の塵に帰した。山は懐かしかった。山は私を呼んでいた。一粒の塵となった私はあの山を登ってゆくのだ。無上の歓喜にあふれていた。それこそが、本当に僕が望んでいたことだったのだ。わたくしの本当の望みとは、それしかない運命でもあるのです。在るべき場所に出逢い、在るべきように在ることを、運命として与えられたことに、私は安堵し、歓喜し、涙を流したのです。山に生えた無数の山々は、かつて山に登った無数の塵たちに違いない、そう私は想うのです。

 「凄い、凄過ぎる」と呟きながら、そのとき俺は目を醒ましたのだった。

 そんな風景を今日見たことを決して忘れたくない。だからお前に話したよ。

冬の日記

 何をしても裏目に出た日の帰り。

 駅を出て、幾つもの小さな通りが交叉する往来の角をひとり折れ、我が家へと向かう帰り路、夕暮れの気配に降られるやうにやって来る、暗色の制服に身を包んだ高校生らに混じり、喪服姿の老女たちのそぞろに歩いて来るのを、わたしは向かいから凝っと見詰めていた。辺りの何処かに棲んだ老人が死んだのだらう。通りは夕暮れに浸ってゆく。まだ子供らしい、あどけない破顔で居る者。翳ある顔して早足で歩く女学生。クラブ帰りの仲間たち。ひとり びとり、ぽつり ぽつり、いずれは何処かで別れるだらう。生を信じて止まぬはずの高校生らと、死の陰影のうちに起居する老女らの、不思議なほど親しみ矛盾のないその光景に、わたしは動揺し、思った。所詮、生老病死の通い路、一瞬間の出来事よ。ではわたしは? わたしは、生者ほど生者らしくなく、死者ほどにも死者らしくはない。では生き霊か。わたしは自分を生き霊のやうに思うときがある。歩いてみても、まるで足音が立たぬ気がする。わたしだけが視ていて、わたしは誰からも見られていないと感じたりする。すぐにでも、影も残さず消えてしまえるのではないか、と……。だが、こんなわたしのことまでも、死はちゃあんと追いかけて来て、見ぃつけた、と云って捕まへてくれるのだ。有難い……。きっと見つけてくれるのなら、隠れんぼだってできまする。

 朱く可愛い実を結ぶ南天の小枝を折り、持ち帰る。鞄に入れて苦るしむと不可ないから、手に持ち帰る。着けばすぐに水に差す。美しいと言って褒められた。

 

                         ———某月某日 冬の日記

巨大建造物と私

 私はたくさん殺した。あるいは、誰も殺さなかったのかも知れない。正直なところ、記憶が曖昧なのだ。私は幼女を守り、家まで送り届けた。私にはもう一人、 相方が居た。いや、二人だっただろうか。すまない、もう思い出すことはできない。私は灰色の海に面する家の二階で、数晩のあいだ泊めてもらった。それがたった一晩だった気もするし、もう何年もそこにいたような気もした。

 私たちは、次に家を出る日が私たちの死ぬ日なのだと知っていた。下に居る者たちも知っていた。部屋の窓から、うねる波と巨大な建造物を見詰め、私たちは家を出るのを覚悟した。ポケットにねじ込んだ新聞の一面には緑色の写真。

 部屋から出ると階段の踊り場に夕陽が差し込んでいた。そこには私が愛した、愛そうとした女性。最期の時だというのに、私は彼女を怒らせてしまった。私は最期まで彼女を理解できなかったのだ。一階に降り、家の人たちに挨拶する。本当にありがとうございました、こんな私たちをかくまってくださって、と。靴が見当たらないのでおばさんに尋ねる。おばさんは、その前に裏庭へ行っておいで、みんなが居るよ、と優しく、不憫そうな様子で言った。

 居間には父が居た。私のポケットにねじ込まれた新聞を見て、それ夕刊だな、見せてくれないか、と言い、彼はそれを引き抜いた。取り上げられる一瞬に目に飛び込んだ緑の写真。覚悟はしていたはずなのに、今日が最期、と唱えると、涙が溢れて止まらなかった。父も泣いていた。

 二階に再び上がった。そこで彼女にまた会ったのだろうか、もう思い出せない。私は虚しさで一杯になり、うつむくようにして階段を降りた。暗い階下で、私の守った幼女が立っていた。私はまた涙が止まらない。私の愛した女はみな…と言って泣き崩れる私を、あの子は受け止めてくれた。私を抱き締めるあの小さな手の柔らかい感触だけ、はっきりと憶えている。

 涙をうっすら浮かべながらも、私はもう落ち着いた。靴をはき、別れの挨拶をし、戸を開けた。

 海の中の巨大建造物が大きく変動していた。

 

                          ———十代最後の夢日記