混迷のなかで

“ 物語の前編、あるいは主要部は既に終わり、これから始まろうとしているもの(いや、既に始まっている!)はその後編、あるいはただのエピローグだ。私たち五人が何を知ったのか、どのようにそれへと立ち向かい、その勝敗は如何であったのか……そんなことは前編で描かれたことだ。K男とU子が死に、生き残ったわれわれ三人も、どうして生き延びているのか分からないところをみると、やはり私たちは虫けらのように返り討ちに遭ったようである。私の知能は●●並に後退し、物語の前半で語られた内容も思い出せない。生き延びた他の二人の名前まで忘れてしまった。だが、二人とも私と同じ病院に居ることは知っている。女の方は、余命幾ばくの末期癌のはずが、そのまま何年も生きたままだ。男の方も、死んで然るべき外傷を事故で負いながら、そのまま今も生存し続けている。ただし、二人とも意識は無く、別々の病室に眠ったきりである。”

 これは私の夢日記の、ある日の冒頭だ。気付けば、こんなところから始まっていた。主人物たちは既に敗北し、皆な死んでいるか、重傷を負って昏睡している。私は酷い痴呆になっている。嗚ー呼! 幕開けですらない、残り滓のような、糞ったれた始まり! けれど、この訳の分からなさが、僕の胸を打ちやがる。俺自身、生きていて、まるで訳が分かっていないんだ。

 砂駱駝の歩みによって既に始まっていましたこの日記で、私は塵について書いてゆくでしょう。そのなかで、空港や精神医学、グローバリゼーション、移民や都市、哲学や舞踊、演劇や音楽、文学、映画、サブカルチャーについても書いてゆくでしょう。夢や記憶、日々の哀楽についても書いてゆくでしょう。すべては、今、自分がどういった状況にあるのか、切実に妄想するために。それが私の人生、唯一つの遊戯なのです。

 なぜ塵であるかは次回語るとして、今日のところは、この夢の続きを書いて眠ろう。

“ 大病院のなかの一室。渋染めの着物を着た老婆が、曲がった腰をさらに前に折り、白衣の男の話を聞いている。老婆は私の母で、私の容態を主治医に窺いに来たのだ。先生は言葉が冷淡に聞こえないよう気を配りながら、淡々と私の経過と状態を母に説明している。母は押し黙って真面目に聞いている風であったが、話に集中できないのか、診断室の壁に視線を走らせ、壁から突き出した『手廻し式の何か』を見つける。「あらア、こんなものがあるワ。懐かしいねえ!」出し抜けに声を上げた母にも先生は面食らった素振りを見せず、和やかに立ち上がると母と会話を合わせる。曰く、昔は頻繁に使われていたそれであったが、今は無用の長物となり、解体するのも面倒と、こうしてハンドルだけを壁から突き出したまま、忘れられるに任されているのであった。老母は少女のように熱を上げ、うわのそらのまま、「どういう仕組みになっているんでしょうねぇ」と不思議がる。先生は無言で壁からそれを引き抜くと、眼の高さに掲げて観察を始める。穴の空いた壁からは灰色の石片がばらばらと崩れ落ちている。先生は瞬時に仕組みを理解し、母に易しく説明した後、傍らの小机にそれを置いた。母は「わざわざわたしの為にそうまでしていただいて……」と言い、目元の涙をハンカチでぬぐう。

 私の病室へやって来た母は、先刻の出来事を、心底感動した様子で私に聞かせた。母は先生を完全に信頼してしまった。「ほら、そこ」と笑って母が指差した先には、聞いた通りのものが壁から突き出していた。この病室にまでそんなものがあるとは知らなかった。厚かましくも診断室から持って来た『手廻し式の何か』を私の枕元の小卓に置いて、母は帰っていった。

 しばらくして先生がやって来た。
「…それで、君は、退院後、どうするつもりですか?」いくらかの会話のなか、先生が尋ねる。
「…はい、有難いことに、○○の職工として、何んとか働かせていただけることになりました」そう言って私は、ひとり感極まり、咽び泣く。先生も、「そうですか。そりゃ、良かったじゃないか」などと言う。
 またいくらかの会話の後、私は母が置いていったそれを手に取り、ハンドルを廻した。手を離すと、内部の歯車や撥条が一斉に、キリキリと廻転し始めた。私がその上に、何かの乗船券か入場券のようなものを置くと、その小さな紙片は、歯車の廻転に巻き込まれ、みるみる深部へ引き摺り込まれたかと思うと、ずたずたに引き裂かれた紙屑となって吐き出された。傍に立ってそれを眺めていた先生は、「これで○○も立派に勤められるね」と言い、にこやかに笑いかけた。けれど、私は急に陥った朦朧状態のなか、先生の言葉の意味が理解できなかった。そういえば、自分は○○になるとか言ったのだっけ?………

 「私」の主治医である「先生」が、何人かの医師、看護士らとともに、薄明の通路を回っている。K男の病室…それから、「先生」のひとり娘、U子の病室……。”

  それではまた。