冬の日記

 何をしても裏目に出た日の帰り。

 駅を出て、幾つもの小さな通りが交叉する往来の角をひとり折れ、我が家へと向かう帰り路、夕暮れの気配に降られるやうにやって来る、暗色の制服に身を包んだ高校生らに混じり、喪服姿の老女たちのそぞろに歩いて来るのを、わたしは向かいから凝っと見詰めていた。辺りの何処かに棲んだ老人が死んだのだらう。通りは夕暮れに浸ってゆく。まだ子供らしい、あどけない破顔で居る者。翳ある顔して早足で歩く女学生。クラブ帰りの仲間たち。ひとり びとり、ぽつり ぽつり、いずれは何処かで別れるだらう。生を信じて止まぬはずの高校生らと、死の陰影のうちに起居する老女らの、不思議なほど親しみ矛盾のないその光景に、わたしは動揺し、思った。所詮、生老病死の通い路、一瞬間の出来事よ。ではわたしは? わたしは、生者ほど生者らしくなく、死者ほどにも死者らしくはない。では生き霊か。わたしは自分を生き霊のやうに思うときがある。歩いてみても、まるで足音が立たぬ気がする。わたしだけが視ていて、わたしは誰からも見られていないと感じたりする。すぐにでも、影も残さず消えてしまえるのではないか、と……。だが、こんなわたしのことまでも、死はちゃあんと追いかけて来て、見ぃつけた、と云って捕まへてくれるのだ。有難い……。きっと見つけてくれるのなら、隠れんぼだってできまする。

 朱く可愛い実を結ぶ南天の小枝を折り、持ち帰る。鞄に入れて苦るしむと不可ないから、手に持ち帰る。着けばすぐに水に差す。美しいと言って褒められた。

 

                         ———某月某日 冬の日記