沈没者の手記

 冬、底すらない深みへ沈んでゆくのを感じていた。肉体でも精神でもなく、ただここに感覚される沈没、抵抗こそが私だと…それだけを祈るように沈んでいった。

 一切の認識は、塵に帰った。
 砂の城を城と思う心は、慈悲なのだと識った。

 私は、かつて自分がどのようにして私個人の存在を信じていられたのか、思い出せなくなっていた。

 「わたし」と称する度、私は虚偽を騙る三流詐欺師の心痛を憶えた。すべての人称は、築かれつつ崩れゆく砂塵の状況が何者かの形をしている瞬間を、語らずしてただ夢想させるための祈祷として、私のなかで生れ変らねばならなかった。

 価値観の底が抜け、私はありふれた日々の選択さえも、判断不能になった。
 世俗的な意味体系を存在論的な無意味さから隔離してきた水門は、またそれによって私に判断することを可能ならしめてきた水門は、私のなかで、霞が晴れるがごとく消えて無くなった。

 頼まれた文章校正や家事に没頭している間だけ、私は焦燥をいくらか紛らせた。なごやかな命令形は、私のギブスであり地面であり、外見上、「私」そのものですらあった。

 あれほど親しかった言葉たちまで、まるで知らない他人のようになってしまった。悲しかった、悲しかった、悲しかった。文字の表面に浮かび漂う、辞書的に対照される語義を目に映しながらも、それらを意味として信じることができず、あらゆる語句は意味の底無し沼に見え、「それが何を意味しているのか」問うてもただ、苦痛な空しさばかりが胸に滲むのだった。私は詩も小説も、哲学書も論文も新聞も、漫画すらも、読めなくなった。

 私はその冬の日々を、ただ日記を書いて過ごしていた。 それは私の眼の前に居る幽霊である私に告白するという形式で書かれていた。私に読むことができたのは、兎にも角にも、私が書くその日記だけだった。溺れる自分を抱く腕を、溺れる自分が編んでいるようなもので、それで浮き上がるわけはないのだけれど、私はその腕を、必死に求めたのだった。

 日記と彷徨を根と枝葉として、私は沈没の状況を確かめていった。自らの破砕を感じながら、それが克服すべき問題であるとは、ついに思わなくなった。
 親友の自殺を知った日の夜、私は塵を讃える詩を書いた。時が経ち、私は塵であることを、受け容れていった。
 それは、あの沈没の感覚と似ていた。

 しかし、もう祈ることはない。